2007年3月8日木曜日

スタッフ紹介1「すべてを捨ててぼくは生きてる/吉岡光晶」


あなたの思い出の歌は?

---ユニコーン「すばらしい日々」

僕が通った高校はアメリカンスクールで、そこの卒業式は最後にみんなで角帽をバッと宙に投げてお開きになるのですが、その角帽の内側にこの曲の歌詞を前夜バーっと書いたのを覚えています。

投げ終わった後は、みんな自分の角帽を探して非常にわらわらとします。100人だったか200人だったかそれぐらいの卒業生の中に三人しか居ない日本人の一人に僕の角帽が拾われてしまったというハズい思い出。

まっすぐ僕に向かってきて返してくれました。



■今日は大切なスタッフを紹介してみようと思います。この舞台の制作を担当してくれている吉岡くんです。

吉岡くんは本来はクラシック音楽の制作事務所「neophilia 」を運営しています。が。何故クラシック音楽に程遠いこの舞台の制作を担当するはめになったかというと。

ま、断りきれなかったんでしょうね。

何故なら私と彼は旧知の友であるからです。しかもただの友じゃない。上下関係の存在する友です。私の幼なじみの弟で、彼がこーんな(と、親戚のおばはんが手を子供の身長に合わせるしぐさ)時から知っています。小学生の頃は一緒に眠ったことさえあります。覚えてる?覚えてないよね。

で、いろいろお互いそれぞれ生きてきて今一緒に仕事が出来るなんて幸福なことだなあと思います。

そうそう、思春期時代の彼をよく思い出します。と言っても、彼がちょうど思春期の頃は吉岡家はお父様の仕事の関係でエジプトのカイロに在住。私は大学生の時に一度だけカイロに出向きそして吉岡家に一週間程泊めていただきました。街を歩いたり、ピアスを開けたり、変なエジプト映画(全く意味不明だった)を映画館で見たり、もちろん砂漠の広さに圧倒され、「ここも私の住む東京も現在なのだ」と感じました。世界を体感しました。彼の思い出の一曲はカイロのアメリカンスクールでの話だね。・・・いいなあ、帽子投げたいな。愛と青春の旅立ちたいな。

で、そんな充実した日々で一日だけ私と吉岡くんは何故か朝まで語り合ってしまったのです。本来の親友であるSちゃんはすっかり寝ていました。

二人で長い時間何を話したのか今となっては大して覚えていません。しかし鮮明に覚えていることがあって、吉岡くんはギターを手にしていました。その姿はカイロでの生活の中でギターをよりどころにしている気がしました。そして奥田民生の話をしたかな。

あれから11年経過し、彼は私の友人である松倉如子と「マツクラとヌール」という音楽ユニットを組んだりクラシック事務所を開いてコンサートを主催したり、私はあの時と変わらず舞台をやっています。

今回は妙に真面目な紹介になりましたが、私は今彼がいないと生きていけません。彼が私の落とし物を全て拾ってくれている、そんな関係です。いつか殴られるんじゃないかと心配ですが、優しい男なので殴らんでしょう。それでいいんだ、女は殴っちゃだめだぞ、ミツアキ。←光晶と書いて「ミツアキ」と読むんです。あだ名は子供の頃から「みっくん」。今回の稽古場では渡辺道子さんが「みっちゃん」なので、たまに混乱する私。

ま、彼の親戚のおばはんです、私は。死ぬまで。

これからも私を支え続けて下さい。吉岡家全員で。あきらめてくれ。




笠木泉

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